私は朝ドラが見れない

だいたい長続きしない。

どうして朝ドラが見れない?

ブログのタイトルが気に入っている。

 

小学校が同じ、住所が近く、親が共働きなどの事情で児童会館(学童保育)に通っていた幼馴染み3人組が中学になって疎遠になるが、ある日、久しぶりに帰り道が同じになって……

そんな話をぼんやり考えていた時、

タイトルを「僕は朝ドラが見れない」と名付けて空想していた。

クラスでは目立たないものの、仲の良い友達はいて、そこそこ楽しくやっている少年が主人公。

主人公の幼なじみは運動部のレギュラー、クラスではまぁまぁ目立つ陽キャ少年。

もう一人の幼なじみは、ほどほどに真面目で、そこそこ面倒見のいい委員長(あだ名)の女の子。

そんな三人の特別仲は良いわけではないが、今の友達には言い難い家庭の事情とかを知っている腐れ縁の三人が、たまーに会っては「おう、元気?」みたいな話。

 

しかし、これだけでは駄目だ、陳腐で何だかつまらない、何か共通点が必要だと思った。

そうだ、私が朝ドラ見ないし、彼らも朝ドラを見ないことにしようと安易な発想で三人は幼なじみな上に朝ドラが見れない共通点を加えた。

 

主人公は朝ドラのヒロインは健気で、支えてくれる大勢がいて、夢や幸せを勝ち取りに行くその非現実感、自分には絶対なれない小綺麗な物語にアレルギーを発症している。

陽キャは部活の朝練があるから朝ドラを見る前に学校へ登校する。部活が午後からの土曜日の回だけ見る……のもつまらないからスマホ片手でほぼ見ていない。

委員長は両親がテレビをつけない主義なので、朝ドラはおろかニュースすら見ない。朝食には、食器を置く時の音や、時計の秒針が進むだけ、無駄話もない静けさを嫌がっている。

 

家庭によってご飯の時にテレビを見る見ないとか、どのチャンネルを見るとかあるもんなーなんて考えて「僕は朝ドラが見れない」というタイトルを考えた。

 

空想上の人物達はともかく、

何かの間違いで、私が朝ドラを見るなんて日は来ないと思う。

ちなみに、私は小学生の頃、遅刻=人間失格くらいに思っていて、とにかく登校時間が早かった。

朝の誰もいない教室が好き、よくぼーっとしたり、一人で歌をうたったりしていた。

だから朝ドラという存在を知ったのは中学くらいの頃だった。

朝からドラマがやってるのか、と。

見る習慣がないから、今後も自分から見よう!なんてことはきっとない。

それに朝から、少なからず苦悩したり、一喜一憂する朝ドラのヒロインを見ると疲れてしまう。

だって自分のことで精いっぱいなんだから。仕事に出かけないといけないし、休みの日は遅くまで眠っていたい。

ドラマ(物語)を見る=登場人物の人生の一部を覗き見る、その行為を朝からしては疲れてしまう。

 

でも、通学中、通勤中に空想上のドラマを考えては一喜一憂していたのだから、朝から疲れるような。

本質はあまり変わらないので、結局のところ朝ドラが見る時間帯に家にいない、朝ドラを見る元気がない、そもそも興味がない、それをああだこうだと屁理屈と言い訳を並べて自分を肯定しようとしているだけなんです。