私は朝ドラが見れない

だいたい長続きしない。

TUGUMI(感想)

TUGUMI吉本ばなな

 

 

 ここ三か月以内で読んだ本のなかで一番感想を書きにくくて、この本だけは書くのをやめようかと考えもした。けれど、読んだ順番も前後の読書の感想に影響はありそうなんで、ちゃんと順番通りに書こうと思いました まる

 

 ネタバレや個人的な考えをつらつらっと

 

 

 

 何で書きづらいのかなぁと思ったらそもそもつぐみというキャラが苦手なんだ。まぁ、苦手だからって全否定したいわけじゃないんで、つぐみがいなきゃ良いのに!みたいな嫌悪ではないのよ。つぐみとまりあがいないとこの物語は成立しないわけだし。

 それにこの小説で一番好きなシーンはつぐみが姉の陽子ちゃんに泣かれるシーンだったりする。

 あぁ、でも書きづらさとキャラの苦手な感じはまたちょっと違う。たぶんだけど、読み取ろうとしている時につぐみの反応に持って行かれて(気が散って)いる。集中したい時に限って周りがそこそこ内容の聞こえる声量で喋っていて、そちらに気がもっていかれる感覚っていうのかなぁ、あれに似ている。

ただ、思春期とか、若さとか、内に抱えた多くのものと、本来の性質とかそういうものが溢れてつぐみの悪く言えば意地の悪さ、良く言えば奔放な部分がこの話には必要なんだ。

(お化けポストのくだりはまりあのお人好しなのか、つぐみの根っこにある意図を汲んだのかは知らんがまりあも若いのによく許せたな……みたいな気持ちにはなったけどね)

 

 まりあという登場人物に個性があるような、ないような、個性というよりはまりあも言うて複雑な立場にいるからああいう性質なのか、自分の性質や心持ちを言語化できなかったり意識していないからこそのああなのか。そこらへんはどうとでも読み取れる気はする。お好きなようにって感じなのか、私の読み取りが足りないのか。

 まりあは不倫の子で、父親に愛されているがその父親も大学生まではたまにしか会えない存在であったりと(たまたま、まりあの周辺の人達が優しかったから?描かれていないから?)難儀な子ではある。あと、不倫の子であっても聖母の名前をついているのは客観的にみると(物語とか抜きにして)なかなかちぐはぐで面白い(もちろん、物語の中においてまりあの父親はけっこう繊細でロマンチストな所があるので彼にとって不倫の子であっても娘は奇跡のような気持ちがあってこの名前をつけたんだろうか。あるいは母親がそう思っていたのか…。はたまた、物語としてつぐみの理解者がいないとあまりにも救われない物語なのでつぐみを理解する奇跡みたいな存在としてのまりあなのか。まぁ考えてもしょうがないことだわ)。

 最初はつぐみの体当たりな個性に負けて無個性そうな彼女にあるのは生まれ育った故郷の海と旅館の人の気配と潮風とか、印象の強い夏という季節だったり。

そういう故郷の空気と季節の濃度と住まいの気配と人との対話が、一度、まりあのなかで遠ざかって(父親と住めるようになって都会に引っ越しによって)、再び、遊びに故郷に来た。ぎりぎり帰って来たと言ってもいい、でもそこがもう自分の住まいじゃないから、来たって感じ。

遠ざかった故郷の中にもう一度いて、好き嫌いよりも馴染む感じなんだろうか。

お父さんとお母さん、家族が家族として認められて、一緒に暮らしていけることをまりあは楽しい、嬉しい、どちらかと言えば良いことだとは思っていそうだし、東京の暮らし(大学生活)もきっとそれなりにやっていけるけれど、白河まりあという意思というか魂というか精神とかは間違いなくこの地によって育まれたものがあるのだとは思う。だから馴染むし、故郷や故郷をとりまく季節や旅館や人が遠ざかっていく哀愁のようなものを感じる。それが例え夏真っ盛りの海辺のシーンであっても、なんとなく寂しさが付きまとう感覚。

まぶしい、夏の海、人はたくさんいて、お父さんまで泳いではしゃいでいるシーンなのにどことなく寂しい空気を感じた部分に吉本ばななさんってすごいなぁ~~~って。あほ語彙力(笑)

 

 まりあとつぐみが仲良くなれたのは、似たような気持ちを抱えていたからなのかなぁ。同じじゃなくて近似とか、ちょっと近いくらいの気持ちの共有。

 つぐみは性格が悪いし、私個人としてはやっぱりつぐみが好きになれないけれども、つぐみももうすぐ旅館を閉じて引っ越してしまう=故郷を離れることへの寂しさとか、これまでも幾度となく湧き上がってきた、こうしたい、こうせざるをえない、みたいな感覚を(頭がいいらしいし)、決していいものとは思っていないけれどやっぱり衝動は抑えられないし、数ある若さの象徴である意地を張って見くびられないようにしているのかもしれないし。

 一歩間違えるとつぐみは本当にろくでもない奴(いや、現状でもろくでもない奴なんだが)なのに吉本ばななのさじ加減で、ままならなさを感じて、それでも対抗しようとしているように(対抗相手は誰とか社会とかでもなく何者でもない)なっている気がする。

 つぐみは敵のいない戦いをずっとしている子ってかんじ。誰と戦っているのかもわからないし、本人もわかってなさそう。

 まりあは自分に置かれた環境の変化に寂しさはあっても、どうにかしてやろうとも思わない、でも、全くの無関心でもない(まりあは幸いにも不倫の子であっても表向きは、暗い気持ちに浸食されずそこそこ健康的な精神で育った/これが母の人徳か周囲の人間がいい人達なのかは知らんが)

 そういう、まりあのまったくもって無関心ではない部分に、まりあなりの受け止め方をつぐみは見出してそれなりに仲良くしているのかもしれない。

 従姉妹という関係性もいい。これが姉妹だとなんか違う感じになりそう。

 従姉妹であって姉妹ではない、でも家は同じ(住み込みだっけか)で、まったく同じ目線で物事を見ていないけれど同じ時代の季節と空気は感じていた、親戚という関係上、切りにくいが家族よりは他人に近い、従姉妹>友達の関係である所につぐみとまりあの絆が育まれている。

 つぐみはまりあに故郷がなくなることを寂しく思って欲しいとは思っていなさそう、まりあにはまりあの受け止め方があるからって。そしてつぐみ自身も寂しいってわめき散らすのは(プライドから)しないし、そもそもわめき散らしたいほどの寂しさではない。

 強烈な寂しさではなく、ひっそりと、自分の何かが終わっていくような感覚というか。

 夏が終わって、同じ夏が二度とこないとわかっている感覚というか。

 今年の夏と来年の夏は違うとわかっているからこそ、噛みしめているというか。

 

 この話ってタイトルがつぐみであるようにつぐみに集中しがちだけど、語り部であるまりあが需要なポジションだなぁって。

 まりあはつぐみを通して遠ざかる故郷(それこそつぐみ一家が引っ越したら故郷へ戻る理由がなければ戻る場所もないのだから)を思っている。想っている、味わっている、噛みしめている、微睡んでいる、浸っている、寄り添っている、言葉にしづらい色々な形で。

 

 つぐみの時代に終わりを告げたのは犬の事件による、姉の涙だったような気もする。

 陽子ちゃんいい人なんだろうな、こんな妹いたら絶対に嫌なのに。昔から姉よりも妹のことでていっぱいだった家族のなかでそれでも陽子ちゃんはつぐみを大切にしているのって、すごいことだ。陽子ちゃんの善性で片付けたくはない、きっとそこには描かれてないけど陽子ちゃんの小さな努力の繰り返しがあったんじゃないかなって思ってしまう。

 もしかするとつぐみはそんな姉に、姉だからこそ甘えつつも、お前はそんなんでいいのかよって、自分だったらクソな妹なんて殴って出て行くぞ、とか思っていたのかもしれない。だから陽子ちゃんに当てつけもあったような気がする。陽子ちゃんにまりあ以上の我が儘を言い続けて、それを陽子ちゃんが時に嫌がったりたしなめたりはあっても、自分と縁を切らずに普通の家族としていることへの有り難みと意味わかんないって気持ちで溢れていたのかもしれない。

 だから、陽子ちゃんに泣かれてしまった時につぐみの子どもというか少女というか一つの時代が終わったような気がする。

 性格をすぐに変わることはないし、きっとつぐみはつぐみのままで。それでも本当の意味で姉を悲しませてしまった。つぐみの行動、つぐみがしでかしたこと、つぐみが相手を殺してもいいと思ったこと、その尻ぬぐいをどのような気持ちでしていたのかって思ったら陽子ちゃんはしんどい。陽子ちゃんの気持ちが分からないほどつぐみは愚かじゃないと思いたいし。つぐみが長く生きていったとして最終的に一番頭の上がらない人物は陽子ちゃんな気もした。

 どのような感情であっても、誰かが自分の為に泣いたり怒ったりしてくれて、その感情がひたむきであればあるほどに、受け取った側は胸が張り裂けそうになるもんだ。

 

 TUGUMIは終わりと新たな出発があるような気がする。

 故郷に行くことは出来るけれど、あの賑やかな、お客さんも含めて少しだけ慌ただしくて子ども時代を守ってくれていた旅館がなくなり、他のホテルや旅館に泊まることはイコールではないわけで、故郷が遠ざかってしまう感情を空気で感じさせるところにこの小説の良さがつまっている気がする。

 つぐみとまりあの二人が、主観・客観でその寂しさのようなものを感じながら、絶望とか失望とかをするわけでもなく、きっと新たな場所ではそれなりにやっていく。

 つぐみは恭介だっけ。(恭一だった笑)あいつとそのまま上手くいって結婚したりするのかもしれないし、やっぱり上手くいかないかもしれないし。まりあにだってそういう人ができたり、できなかったり、例え誰かと一緒になったとしても、それでも時々あの懐かしい頃を思い出してはそれを共有できるのはこの時代に生きたつぐみ、まりあ、陽子ちゃんだけかもしれない。色々な出来事はあるけれど、私が一番に感じた部分はそこらへん。