おいしいご飯が食べられますように(感想)
おいしいご飯が食べられますように(高瀬隼子)
感想書いてく。
前提としてネタバレをいっぱい含むし、私の独りよがりな考えもたっぷり含むんだよ
おすすめしたい方
・老若男女問わず、現在の人間関係においてモヤモヤを抱えている方
・今の生活に不満はないのに人間関係で息がつまりそうになる方
・不穏感や不満、焦り、昏い気持ちなどについて考えるのが苦手じゃない方
逆におすすめしない方
・起承転結がはっきりした物語が好きな方
・高温多湿のような不快感(不穏感)に耐えられない方
・愛は全てを覆すほどに素晴らしいものだと信じたい方
・今ストレスを抱えているからストレスの溜まる話を読んだら発狂しかねない方(ゆっくり休んでくれ…)
読書メーターで似たようなの書いたけど、もうちょい言葉を選んだらこんな感じかな。
これを貸してくれた人に
「誰が一番大変そうだと思ったか教えて」と言われた。
何を軸にして大変とするかは迷う所だけれども、一番精神的にしんどそうなのは二谷さん。
押尾さんの気持ちはすごくわかる、芦川さんの塵積もだった感情は、芦川さんだけが憎いんじゃなくて会社とかその場の空気とかそういうのに対しての嫌悪をひっくるめて意地悪をしたんだろうなって。
芦川さんはこの人だけが視点がないからこそミステリーな人物。
ただ、一つ言えるのは芦川さんは顔がよくて、適度に愛想がよい(よく振る舞える)のが不幸中の幸いだなって思った。
色々な人とこの本の話をしてその一部を抜粋して考えを書いてく。
①教えてくれた人(押尾さんについて)
おいしいご飯~を教えてくれた人と読破後に話していたらその人が
「押尾さんもちょっと子どもっぽいよね」と言っていて、押尾さんが子どもっぽいのもわかるけれども、他にも色々な感想はある筈なのに最初に「押尾さんは子どもっぽい」をその人は出した。
この嫌な世界(社会・会社・空気)と戦って、負けて、撤退した押尾さんを子どもっぽいだけの一言で済ませるのはちょっと嫌で、それを言った人とは根っこの部分で分かり合えないなとも思った。
(押尾さんが子どもっぽい部分は作中でたくさん書かれているから押尾さんを全肯定したい訳でもないけどよ、他にもっとあるじゃん…みたいなあれこれ)
ただ、押尾さんのこういう子どもっぽさ(理性的な部分が少しだけ欠けている)のは会社という狭い環境では嫌がられるのもまた事実なのがこの小説の数あるすごいところの一つかもしれん。
押尾さんの肩を持ってしまうのは自分の中に「芦川さんのようなタイプの人間を嫌ってしまう自分」以上に「そういうことを考え、押尾さんのようなことをしてしまいそうな自分」がいるからなのかもしれない。
おすすめしてくれた人とは分かり合えないとは思ったけれど、押尾さんというキャラを通してそういう子どもっぽい部分がある自分を否定されたように感じてしまった部分もあるような気がして悶々。おすすめしてくれた人は何も悪くない、悪くないな…っていう反省の念も生まれてくる。
ただ、押尾さん、同じ立場だったらすっごい気になるもんね。
それでも社会としては押尾さんが排除されるんだよ、彼女はもっと他の人に取り繕って、自分が嫌だと思うことを日頃から言っていればこんなことにはならなかった
(でも、職場で好かれている人物の悪口を言うことが、更に自分が変って思われそうな空気があって言えないのもまた事実なんだろうな)
(押尾さんだって学生時代はチア部で気の合わない人達とチアやってたくらいなんだからコミュ力がないわけじゃないんだろうが……逆に押尾さんはチア部の結婚式の余興をやろうとか何だとかの下りで気付いてしまったんだろうな、集団の中で自分だけが考えが違うってことに。自分の考えだけが排他的なことに、誰か仲間を探したいと思ってしまうのもすごくわかるし、それで二谷さんが比較的同類であることに気付いて近付いたのだから押尾さんの観察眼も侮れない訳で)
押尾さんが芦川さんに嫌がらせは、芦川さんが嫌いなだけじゃなくて、その場とか空気に対する抵抗みたいなもんな気がした。
自分の抱えている苦さが、誰もわかってくれないことはとてもつらいことのように思える。
だから芦川さんの潰れたお菓子を芦川さんの机に置いた。それだけが押尾さんに出来る反撃だったのかと思うと(置く時にどのようなことを考えていたのかが描写されないからこそ)押尾さんの気持ちがすり減っていたんだろうなって考えることが出来た。
押尾さんのことを考えているうちにふと、綿矢りさの『嫌いなら呼ぶなよ』の一文を思い出した。
『一応、暴力だろ。石でも、言葉でも、嫌悪でも』これ。
まぁ嫌いなら呼ぶなよの登場人物と押尾さんは物語としても考え方や立場としてもかすりもしないけどね。
押尾さんがやらかしたことは紛れもない暴力(意地悪)だけど、それを暴力だって片付ける前に押尾さんが密かに気持ちをすり減らし続けた小さな、暴力とも言い難い暴力が積み重なってどうしようもなくなったことは想像に易い。
誰も悪くない、でも自分の考えが周囲と噛み合わない、その孤独感とかそういった類が(誰しもありそうなものが)押尾さんをそうさせたのかも。
もっと芦川ってああだよねこうだよねって言い合える人や、押尾さんが嫌な思いをしていることを理解してそれを共有できる人物がいたら、きっと押尾さんは上手くやっていけたんだとも思う。
ただ、人生っちゅーか社会はあくまで働ける・場を乱さないかの二点しか、少なくともこの支店は考えていないかなので、押尾さんは敗者となっちゃったんだな。
藤さんや他の人物相手にした時は子どもっぽい押尾さんだけど、一度は共犯だった二谷に追及しないことが押尾さんって大人だなぁとかとも思ったりしちゃう。
まぁ、自分は辞めるから関係ないかと割り切っただけかもしれないが。
子どもっぽい、でも潔い。だからこそ次の場所へ転職することができた。
押尾さんってハッピーエンドだよな。少女革命ウテナでいうところのウテナなんだよ。
押尾ウテナが一人で外の世界に出て行ったようなそんなラスト。
ちなみに二谷アンシー、芦川暁生。
アンシーが暁生と共に世界に閉じこもる(それは怖くはないし、表面上の幸せは得られる)ような話な気がした。
ただ、あの時に押尾さんが二谷さんを糾弾しなかったことが、二谷さんにとってはよくないことのようにも感じる。そこらへんは後で。
②おすすめして読んでくれた友人1(芦川さんについて)
ちなみに友人1は意見をストレートに言ってくれる人で、様々な面で尊敬している。
その人が「自分の部署だったら嫌だな」ってのと(本当にその通りである)。
「この三人はいるべき場所にいればもっと楽に生きられるんだろうな」って話をしていて確かにな~って気持ち。
なんだかんだで一番職場に馴染んでいるのは一番苦しそうな二谷という地獄。
友人曰くなんだかんだでハッピーエンドって点も私は頷けた。
「押尾さんは別の場所に行き、芦川さんは二谷と結婚して見下されながらも可愛くて弱い芦川さんとして幸せに生きていくし、二谷は本心を隠しながらも変革することなく生きていくのでしょう」
このね、この言い方が友人のすっごく好きなところの一つなんだよ。
芦川さんは可愛くて弱い芦川さんとして生きていく、最初からその状態で彼女はそのまま生かされる、それをぶっこんできてくれる友人の話を聞いた時、ゲラゲラと笑いながら両手を叩きながら喜んじゃったよね。あー、本当に好き。
その後も友人は「ペットと子どもに見下されるのは本当にヤバい、真に下位の存在だよ」とも話しててクソ笑った。でも残念ながら、ペットや子どもは嘘つかないから真理だなぁとも思ってしまった。
強く生きていくことはすごいし、尊敬するんだけど、全ての人間がそれを望んでいる訳でもないし、それを行使できるPOWERがある訳でもない、そして弱者に甘んじる方が楽なのだし、幸いにして今の日本社会は弱き者を守ろう、弱き者を迫害する者は石を投げて構わないって風潮で、可哀想でか弱くて可愛い自分っていうのが出来るんだから芦川さんがそれを体現したような登場人物なのは本当にすごいね。
少なくとも芦川さんにはそれにぶら下がる(例え、周囲からめちゃくちゃ見下されるとしても)ことへの潔さあるいは執着、狂気、もう彼女にはそれ以外に道がないかのように感じられるあたり、芦川さんのことそんなに嫌いになれない。
何も考えない、何もしないくせに、自分のせいなのに社会だとか周辺の環境の所為にしてネットで全く別のことでキレて愚痴るようなタイプだったら芦川さんを嫌いになれたのかもしれないけれど(芦川さん視点描かれてないから知らんが)少なくとも二谷さんや押尾さんからみた芦川さんは図太くて登場人物としての魅力があるよね。
(もちろん、身近にいたらすっごい嫌)
(友人曰く自部署にいたら嫌っていうのはこういう所なんだと思うし、それを突いてくる友人はやっぱり尊敬するわ)
お菓子を作り続ける芦川さんの狂気(性悪?)は押尾さんや二谷さんだけではなく、お菓子を潰し続けたもう一人の気持ちもとことん追いつめていったのだから大した悪役っぷりだよ。
勿論、悪役だと理解して追求しようなんていうヒーローは押尾さん以外いなかった訳だけど。現実ってそんなもんよね。
③おすすめして読んでくれた友人2(二谷さんについて)
別の友人(私のメンタルがヘラった時によくとりとめのない話に付き合ってくれるありがたい人物)に勧めて読んでもらった
ちょっと寝るには早いから読むかって思って読んだら不安で眠れなくなったらしくって、それはすまんかったわ。
友人が「色々考えて大学を選んだから二谷さんの気持ちわかる」って言った時に二谷さんの元カノのくだりで、彼の選んだようで選ばなかったことって大なり小なり色んな人が通じる部分があるのかもなって思った。
そういう視点もあるのだと友人と話していてわかったのが収穫だった。
自分で決めた筈なのに、選ばなかったことがすごく気になって、人生の選択肢って難しいなぁ。
たぶん彼は芦川さんと結婚した後も、時々、押尾さんとのやりとりが続いていたらと思う日があるのかもしれない(押尾さんへの愛情とかは無いのだろうけれども)。
自分の選択肢が上手くいかなかったのにずっと気になり続けてしまうことってやっぱりあるんだなぁ。
「二谷視点よかった あの生きづらさ」とも言ってたのはちょっと笑った。
なんていうか、二谷さんは祖母の贔屓と妹の純粋な悪意を浴びて育って、祖母の贔屓に染まりきってしまえば彼はここまで悩まずに生きていられたのに、それができなかったからこそのこの作品の主人公なんだとも思う。
二谷さんの対極にいるのが芦川さんの弟な気がするわ。
できない姉を馬鹿にして、ペットの世話すらできない、姉が世話になってる?みたいな怪訝そうな反応を示した彼は長男で、恐らく芦川さんちもちょっと男尊女卑入っていて、姉を小馬鹿にする環境がずっと続いていたから親族の顔合わせの場にいなくてもいいと思えるような、(まぁ彼も本当のところは何を考えているのかわからんけど)
芦川弟のように生きていけたら二谷さんは楽なのに。
身体(本能?行動?)、脳(理性)、精神(欲求?魂?)って別な気がする。
脳はああしなきゃこうしなきゃ、こうするべきだって思っていることを二谷さんは身体というか行動で直結して上手くできるのに、精神はどこまでも浮かばれない。
社会的な幸せ、表面上の穏やかさを築くことが二谷さんはできるのに、気持ちというか心はずっと苦しいまま。
P122あたりの二谷さん視点で二谷さんのことがすごく好きになれた。母性みたいな感情で彼をみてしまう。
「芦川の料理中に動画視聴だと感じ悪いからニュース見るようところが繊細にも見えて、なんか歪んでるなぁと思った」
この友人の言葉にも激しく頷いた。
二谷さんは気持ちが自由になることはないけれど、それでも表面上の、他人から見たら羨ましい部分もある幸せは手に入れられる。
でも彼がそれを望んでいるのかはまた別の話。
押尾さんは二谷さんの絶対的な理解者ではないにしても、ご飯(酒)がおいしいと思えた瞬間があったのに
最後に二谷さんが芦川さんと付き合っていることや自分がその日だけは潰したお菓子を芦川さんの机に置いたことを押尾さんに告げても押尾さんは下がったことが、二谷さんにとってある意味での不幸なのかもしれない。
もっと二谷さんの表面上じゃなくて本音にぶつかってくれる人物が彼には必要だったのかもしれないけれど、それで彼が安らぎを得られるかどうかはまぁ微妙。
まぁ、自分の本音にぶつかってくれる、寄り添ってくれる人間なんてなかなかいないのも妙なリアリティーがあるよね。
彼は幸せになりたくないのかもしれない。
それは昔の男尊女卑に染まり切れない繊細さとかだけじゃなくて、仕事の忙しさよりもずっと昔から彼は疲れ切っていて、自分を傷つけることでしか自分を保てないだけかもしれんけど。
兎にも角にも、二谷さんはすごくつらそう。それを選び続けているのも彼なのに、それでも苦しそう。
芦川さんと結婚して、子どもが出来て、ずっと生活をしていた時にふと、消えてしまいそうな危うさがある。
本の内容でここまで色々と考えることが出来た本っていうのが私にしては珍しくて、
考えていることが正解ではないだろうけど、自分はこう思うって考えて考えてまとめることができてよかった。
登場人物達にあれこれ考えることが出来てよかったわ。
この本を読んで、久々に読書をしようと思えた。
でも考えれば考えるほど、登場人物のちょっとダメな部分が自分に返って来てしんどくなっちゃう。
最後に、
パートの原田さんが押尾さんに厭味を言っているけれど、
職場の空気が「芦川って仕事できないよな」に傾倒したら普通に芦川さんにねちねち文句を言いそうで、
中身のない正義感を振り翳していそうな原田さんのような人物が一番厄介だなぁとも思った。
ひょっとすると原田さんには原田さんのストレスがあって、それを発散できるのが誰かの陰口だったり、誰かをのけ者にするということなのかもしれんが。