遥か遠くの親近感
自分がどうしてこんなに悩んでいるんだろう、
この苦悩は他人にはわからない、
自分だけの苦しさなんだ
とか何だと思いつめる時ってあると思うんだけど、
思春期の頃の瀬登山はそれが顕著に出ていて、この悩みはどうして私を苦しめるんだ…、と一人落ち込み続けていた。
誰しもそれなりに苦悩をするんだろうなとも理解できていても、自分の苦悩で精一杯で、なかなか人のことなんて考えられない。
それはさておき、
dマガジンで適当に選んだ雑誌を読む中で
何かの雑誌(履歴を辿ってみたもののついに見つからなかった!)の反出生主義についてのコラムがあった。
悪いことがある=生まれてこない方がよかった
っていう考え方らしい。あやふやな記憶なので間違ってたらすまんな。
「へー、反出生主義って名前なんだー」てな感じだったんですが、
めちゃくちゃびっくりしたのは、
コラムで哲学者が「紀元前からの考え方で…」とあって、
きききき紀元前!?
紀元前からまぁ2000年と20年ともう少しで2年は経過するわけで。
気が遠くなるほどの昔から人々は同じようなことを考えていたんだなって、縁もゆかりもましてや同じ人間とすらあまり思っていない(文化とか時代とか生活とかそういう意味で)紀元前の人々に謎の親近感がわいた。
それと同時に、
人間っちゅーのは何て面倒臭いことでくよくよ悩む生き物なのだろうかとも思った。
反出生主義も置いといて。
そう考えると言葉にならない気持ち、現象、行動、思想といったものに「こうじゃよ」つって名前をつけた哲学者達ってすげーわ。
今さらながら倫理の授業で出てきた、名前は聞いたことのある哲学者(ソクラテス、アリストテレス、プラトンとかそういう方々)って当時の人々にもあった目には見えない人間の内側について言葉で説明をしたのだから歴史に名を遺すんだろうな。
倫理もとりあえず置いといて、
私達の悩みと、昔の人々の悩みも、そう変わらないのかなぁと何だかすごく昔の人々に親近感を抱き、何となく愛おしく思えるのは気のせいかな。
2000年と20年と約2年前に比べたら物資的に豊かになっても尚も悩み続けるし、
きっと、この悩みとかモヤモヤはいい方向に転がった2000年先の未来でも同じように考える人がいるのかもしれない。
過去にどこの誰がどう悩んでいたのかは知らんし、未来だって知らないけど、出来ることなら悩んでいる人々のモヤモヤが晴れて楽しく過ごす日々を早く迎えてほしいもんだ。